願いごとが叶わない?「願望と本質について。心の奥底の願望は実は”叶っている”んだよ。」
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「何をお願いしても叶った試しがない」そんなあなた
願望が叶わないと嘆くそこの貴方、先ずは自分が気が付いていない心の奥底にある本質を見直す事をお勧めしたいと思う。
まず、願ってはいるけれども、実は「叶うのが怖いと心のどこかで思っている」場合。
「こうなりますように」と願いながら、叶いそうな道が見えるとやっぱりその道には行きたくない、と思う「恐怖」の心。
この恐怖心を上はお見通しなわけで、そうすると、「成程、叶うのは怖いから叶わなくて良いという願望なのだな」と、その願いをしっかりと「叶えて」くれている事になる。
そうすると、最初は道を示していてくれていたとしても、上としても「お願いごとをしにきたいだけ」と解釈するので、
延々とお願いするけど叶わない、のループにハマる、ということになる。
また、「願っている自分が好き」な場合。
こうなりたい、ああなりたい、と願って妄想している自分が大好きになっていないだろうか。
「彼氏欲しいです!」(と願っている自分が好きです!)という心の声が、実は叶っている事に気が付いて欲しいと思う。
神は、前半の「彼氏が欲しい」よりも奥底の本質を聞いて、「つまり彼氏が欲しいという理由で、あちこちの神社で縁結び祈願をしたいのだな」と判断し、
あなたはいつまでも縁結びの神社を巡る事となり、尚且、いつまでも彼氏はできない、ということになる。
「なんで?」と思ったあなた
確かに、人間側から見れば斜め上の叶え方であるが、神目線では、「だってそう願ったじゃん」となるわけだ。
神々からすれば、とんだ言いがかりだ、ということになる。
もし真剣に叶えたい願望があるなら、先ずは本質の見直し、自分の心の声と向き合ってみよう。
その願いに対して自分の心に迷いはないか?
どうせ無理、とどこかで思っている願いではないか?
レジャー感覚でとても軽くお願いをしていないか?
神を試すような願い方をしていないか?
そもそも…願うばかりで何も行動を起こさない人は論外だが。
他力本願の本質も、上はお見通しだ。
願ったのに叶わない、心の底から願ったのに!という人の中には、
「で、あなたは何を努力したの?何を差し出したの?」という人も多い。
神だって感情がある。
神だって人を見ている。
普段から不平不満ばかりを言っていて、お願いごとだけは調子良くするなんて、
そりゃあ、人として考えたら、そんな対応ないよねって思う。
そもそも、多少の試練を与えて試すことだってするような人たちだ。
それを乗り越えようともせずに叶わない、なんて文句をいうのは、上にとっては論外、である。
じゃあ大金を積めば良いのかって?
否、神はお金では動かない。何故なら彼らにはお金は意味がないものだからだ。