「はじめが聞く」当たり前のように言われる”二礼二拍手一礼”は実は歴史の浅い作法。参拝スタイルは自由で良い。
BLOGコラム「はじめが聞く」★教えて巫センパイ神社仏閣基礎知識
弟子で祓い屋の一(はじめ)が、「みなさんから寄せられた質問」を巫に持っていってに答えてもらう、「はじめが聞く」のコーナーです。
今日のお題「当たり前のように言われる”二礼二拍手一礼”は実は歴史の浅い作法。参拝スタイルは自由で良い。」
今回は番外編、「神社での参拝の豆知識」です。
二礼二拍手一礼って神社での当然の参拝マナーのように言われているけれども。
実は歴史が浅いんですよね。
何がダメっていうわけではないのだけれども、知っておいて損はない豆知識だよ。
二礼二拍手一礼はいつから始まったのか
実は二礼二拍手一礼は、明治時代に制定された「神社祭式・行事作法」で定義されたもの
実のところはいつから、というものははっきりしていないのですが、
まずは明治4年、伊藤博文が「一揖再拝二拍手一揖」という現在の「二礼二拍手一礼」に近い作法を取り入れ、
その後、明治40年に「神社祭式・行事作法」が制定された際に、祭式の作法が定義付けられました。
その際には、、「再拝→二拍手→押し合わせ→祝詞奏上→押し合わせ→二拍手→再拝」という形式だったんですね。
それから改訂を重ね、再拝→祝詞奏上→再拝となり、再拝→祝詞奏上→再拝→二拍手→一拝という形へと変化していきます。
そもそもが、あくまで神職の作法であり、そこに玉串を捧げる作業が入る、玉串奉奠という作法をさしていました。
玉串を捧げ、二礼二拍手一礼、という順序で行うのが正式参拝で、経験した事がある方もいらっしゃるかもしれません。
一般に「二礼二拍手一礼」が広まった時期としては、戦後とも平成とも言われており、とにかく「新しいもの」だという印象です。
祈念するタイミングは本当は二礼二拍手一礼よりも”前”
本来であれば、正式参拝とするのであれば「祈念→玉串を捧げる→二礼二拍手一礼」の流れなのですが、
現在の参拝方法だと祈念するタイミングがなくなってしまっています。
玉串を捧げる際に、神と相対するわけなのですが、そこが抜けてしまっているんですね。
なので、「二礼二拍手→祈念→一礼」という今のタイミングとなるわけですが、
これも時代の流れなのだと思います。
東京神社庁に記載されている参拝方法とは
「私たちが神社にお参りする際の作法には厳格なきまりはありません。敬意の表し方は人それぞれですし、参拝の作法も神社や地域によって特色があります」
こう書かれています。
つまり、神社のマナーとして当たり前に言われている「二礼二拍手一礼」にこだわる必要はなく、
つまり大切なのは「心」なのだという事をちゃんと伝えてくれていますよね。
「二礼二拍手一礼」という形にとらわれずに、「神と向き合う心」を持つ事。
「自分はマナー違反をしていないか」と周りの目を気にする必要はない、という事です。
実際、ちょっと年上の人たちに聞いてみると、「二拍手」のみだったりと、
人それぞれだったよね、という答えが返ってくる事が多いです。
ちょっと特殊な作法の神社
二礼四拍手一礼
・出雲大社
・宇佐神宮
・彌彦神社
二礼二拍手一礼以外の参拝方法をとる神社として一番有名なのは出雲大社ですね。
出雲大社では、通常時は「二礼四拍手一礼」を基本作法とし、
最も大きな祭典である5月14日の勅祭 では、「二礼八拍手一礼」を作法としています。
また、八拍手というのは、「無限」の数字である八を表し、それこそ神に無限の拍手を捧げるという意味合いをもちます。
普段はこの半分の四拍手が基本の作法となります。
八度拝八開手
・伊勢神宮
これもご存知の方が多いのではないでしょうか。
しかしこの作法は神職者が祭祀の時に行う作法で、一般の参拝者は「二礼二拍手一礼」です。
ちなみにお寺では?
お寺では、「合掌一礼」です。
柏手は打ちません。
合掌の際に祈念をし、終わったら礼をします。
やっぱり大事なのは「心」
何がダメ、あれがダメ、とびくびくしながら参拝していては、肝心の「心」が置いてけぼりになります。
せっかく参拝するのにとても勿体ないと思うのです。
本来、参拝のスタイルに決まりはありません。
豆知識として頭に置きつつ、自分なりに「こうしたい」と思う参拝方法をとられてみてはいかがでしょうか。
参考文献:神社で拍手を打つな! -日本の「しきたり」のウソ・ホント /島田裕巳著
「あの人マナー間違えてる」とかそういう所ばかり見ていたら、参拝した意味もなくなっちゃうよね。
そうだねえ、やっぱり私は、マナーマナーって言うのはどうかと思う方なので、自由でいいと思ってるよ。