【ご相談事例】自分自身で作りだす、自分自身をコントロールする「魔」
その霊障は自ら生み出し続けるもの。
幻覚・幻聴、そうしてそれらは自分をコントロールしようとする。
祓っても、祓っても、それは終わる事なく湧き出てくる。
そんな相談が舞い込んできた。
自分を支配するモノがいる。
連日、命令され、指摘され、時に優しくされ、コントロールされていると。
一は「なんなんだコレ・・・」としばらく頭を抱えていた。
何度祓っても、「やはりまだ改善されません」という言葉が何日も返ってくる。
一の祓いの腕前は私が買っている。
だからスカウトしたんだ。
「私の弟子にならないか」ってね。
もちろん、今までもそんな事例はある。
繰り返すもの。
これは致し方ない事であり、
それは同じものではなく別のものであり、
呼び寄せやすい人というものはどうしてもいるもので、
それは一だってよく分かっている。
しかし、今回の事例はちょっと違っていた。
「なんだか質が違う」
私から見ても、明らかにそうだったので、
私はこの案件を一に任せて置くことにした。
しばらく経って、一から連絡があった。
「これは、依頼者が生み出し続けるものだ」
「だから、祓ったらまた生み出すから、変わりがないと言われる」
「依頼者の”依存”が生み出す、依頼者を慰めるためのモノ、だ」
そうだね、だからこれは永久機関なんだ。
じゃあどうするか?
本人に自覚してもらう事と、本人にその執着と依存を止めさせるしかない。
依頼者は、自分がずっと、その幻聴・幻覚に支配され、そうしてコントロールされる事を望んでいる。
それを断つには祓いではなく、本人の意識を変えるしか手段はない。
一は、こうやって解を見出しながらも、依頼者の為に生み出すものを祓い続けたが、
それでも、これを永久に続けるわけにもいかないだろう。
依頼者が「彼ら」と呼ぶそのモノたちは、
依頼者の心のスキマを埋める為のモノたちであり、
彼らに意思を持たせたのもまた、依頼者だ。
「うーん、これは俺の範疇じゃねえけど、まあ、うん、現実面から話してみるわ」
一は依頼者にそちらに意識を向けないように説得を始めた。
話をしない、聞かない、意識を向けない。
身体に起こる事象は生理現象でしかない事、
そうして、意識をそこに向ければ、それら全てが気になるのは当然で有る事。
現実面から、一は説得を始めた。
一度は納得した依頼者であった。
がしかし、心が求めるものを拒否するというのはなかなかに苦行である。
「やはり改善しません」
同じような連絡が、また一のところに来る事になる。
もう、セラピストに依頼した方が良いんではないだろうか、
心の事は心のプロにお願いするのが筋である。
エンドレスなこの案件に、一に私は提案した。
それでも一は、依頼者を見捨てなかった。
依頼者が生み出すモノは一に祓われる事を拒絶し、
一を煽るように祓っても祓っても生み出される。
それらに攻撃されても、一は諦めなかった。
「確かに心の事はセラピストに頼むしかない。でも、祓いは俺の仕事」
「だから、依頼者が俺の話を聞いてくれるようになれば、それから心のケアをプロに任せれば良い。
連日連日、一は、呼吸法を教えたり、そちらに意識を向けず、現実を見るように説得し、
そうして祓いを続けたわけだ。
一旦、それをしばらく続ける事で、依頼者から
「気にしないように過ごしてみる」という妥協策が出され、
この案件を一旦仕舞いにする事になった。
もちろん、心のケアをプロにお願いする事も、ちゃんと提案済みだ。
─────さて、これから先を想定する。
次に生み出されるものは、一への依存だ。
一に構って貰いたい、一なら話を聞いてくれる、その気持が、今度は、
「この案件を終わらせたくない」という方向にシフトする。
そうなると、どうやってでも依頼者は終わらせようとせず、
新たに生み出す事を絶対に止める事をしないだろう。
この依頼が来るまで、果たして何日だろうか。
寂しさから自分自身と仲良くしてくれるモノを作る事を
イマジナリーフレンド(IF)
学術的にはイマジナリーコンパニオン(IC)という。
これが良い方向にはたらいているのであれば、
それを無理に止める必要もないと思っている。
子供であればよくある話でもあり、これは成長過程において、
なんら心配する必要はないと考える。
もちろん、その背景に虐待等の問題があるのであれば、話は別である。
これらに祓いは必要ないし、寧ろ祓いは通用しない。
今回、祓いが通用したことが問題なのだ。
そういった力がなくとも、自分自身が魔を生み出すことは
とても容易い事であり、また、それを知ってしまえば
それは中毒性があり止められないものであるということ、
そうして、これは現実面での心のケアが必要であるということ。
また、プロではない以上、我々はその心のケアに介入をしないのは基本的ルールである。
しかしながら、現実面でのケアをなかなか受け入れてはもらえないという現実、
それに怯えながらも、それを欲しがる心の矛盾。
そうして「やり方」を無意識に知ってしまった為に繰り返し生み出される「魔」。
自分自身を悩ませる霊障を、自分自身が生み出しているというこの案件は、
ミュンヒハウゼン症候群において病気で人の気を引くのではなく、
霊的事象で人の気を引くための一つのパターンであると考える。
これは、我々にとっても一つの教訓である。