噂話。
そうさねえ、あの女は、自分で自分の開けてはいけない箱を開けてしまったのさ。
それでねえ、言葉が綴れない、と嘆いているわけさ。
あの出来事を綴るなんて、そんな事をしては駄目だったんだよ。
わざわざ、自分の傷を抉るような真似を───しなきゃ良かったんだよねえ。
あの独口、だっけ?あれを綴ると思い立ったあの女はさ、仕舞い込んでいた記憶も、奥底から引き出してしまったのさ。
思い出なんて、美化して仕舞っておくか、笑い飛ばしておけば良かったんだよねえ。
───あの女はさ、自分でも良く口にしていた様に、家族という物が良く分からない女でね、馬鹿だよねえ、父親の様な、兄の様な存在に、こうさ、コロリと行っちまったのさ。
そりゃあ気持ちは分かるさね。
知らないけれども欲しい物って言うのは誰にでもあるさね。でもさあ、それに手放された時って言うのはさ、どうなるのかなんて───ねえ。
あの女はさあ、私にすら本音を見せない女でねえ。多分、その方が楽、だったんだろうさ。その方が、傷つかなくて済むってもんさね。
そうやって生きる事に慣れた女ってのは、ある意味世間知らずさね。それを見抜かれていたんだろうさ。
いや、私だってさ、あの人が悪人だなんて思っちゃいないさ。
あの人にはあの人の考え方があったんだろうさ。
人は、誰しもがね、全てにおいて悪、なんて事はないもんさね。
あの人も、色々な物が足りなかったんだろうさ。
家族とか、仲間とか。
あの人もまた、人を信じる事が出来なかった人さね。
あの女はさ、そんなあの人の傷を見抜いたんだろうさ。
そうさね、傷がある人っていうのはさあ、何だか美しいもんだからねえ。
───あの女はさ、そういう事についてはやたらと記憶力が良くてね。
そんなあの女がさ、多くを忘れかけていたんだよねえ。
いやさ、それで良かったのさ。
あのまま仕舞っておけば、それで良かったのさ。
いやさ、私は止めたんだよ。
そのままに仕舞っておけってさあ。
だけど、あの女はあの箱を出してきて、私が目を離した隙に開けたのさ。
もう手遅れだったさね。
一つ、また一つとさ、箱の中の物を出してはさ、何か書き留めていたさ。
私が見た時にはさあ、難しい顔をして、仕舞っては出してを繰り返していたさね。
今思えばあれはまだ、綴るべきか否か、葛藤していたんだろうさね。
だから、私は言ったのさ。
開けてしまったのなら仕方が無いんだしさ、もう綴っちまったらどうだいってさ。
あれはさあ、───私の間違いだったよねえ。
止めれば良かったのさ。馬鹿な事を言っちまったよねえ。
そうしてあの女はさ、結構な時間を掛けて綴ったのさ。
私はさ、それが終われば楽になるんじゃないかって、そう思ってそっとして置いたんだよねえ。
そうして、綴り終えたあの女はさ、ぱたりとその場で転がってさあ、暫く起きなかったのさ。
ああ、疲れたんだよねえ。
そう思っていたけどさあ、起きたらあれさね。言葉が綴れないと言い出したのさね。
無理矢理に綴っても、言葉が変わってしまった事ぐらい、学のない私にでも分かる事さね。
私にでも分かるんだからさあ、あの女は、自分が一番良く分かっているんだよねえ。
それで私に吐き出したのさ。
───もっと非道い事はわたくしの人生には沢山ございました。故に、この程度であるならば平気かと思っておりました。しかしながら、こんなにもわたくしの中で重たい事だったとは、ええ、思ってもおりませんでした───
ってさあ。
はあ、厄介だよねえ、だけどさあ、私には代わりに綴ってやる事なんて出来るわけないさね。
あの出来事を綴るなんて、そんな事をしては駄目だったんだよ。
わざわざ、自分の傷を抉るような真似を───しなきゃ良かったんだよねえ。
だからさあ、こうやって、噂話として伝えて回る事しかしてやれないのさね。
え?私はあの女の身内かって?馬鹿言わないでおくれよ。
身内なんてもんじゃないさね。私はあの女とずっと一緒にいるんだよ。
───それこそ一蓮托生さね。私はあの女、あの女は私さね。
───巫