阿羅斗氏、という相互審神者の関係
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阿羅斗氏、という相互審神者の関係
今回は、阿羅斗氏から「名前を出しても良い」と許可をいただいたので、
初めて阿羅斗氏の事を書く。
なので、特段面白い内容ではないと思う。
阿羅斗氏、阿羅斗で「あらます」と読む。
この者はどちらが上でも下でもなく、相互に審神者が出来る貴重な存在だ。
大体にしてこの業界の人間達は必ず上か下かを判別したがり、
そうしてあまりそういう人間に対して自己主張をしない私は、ほぼ間違いなく下に置かれてきた。
同業者だから分かり合える?そんなの9割方有り得ない。
どの業界だって会社だってそうだろう、「声の大きい人間が勝ち」みたいなものは、ここだって同じだ。
そんな中で、少しづつ、上も下もない人に出会う機会が出てきた。
出てきたと言っても片手にも及ばないのだけれども。
阿羅斗氏は一の事もよく面倒を見てくれた。
くれた、と過去形にするのはおかしいか。
私も阿羅斗氏も、別に一と人間として決別したわけではないのだから。
阿羅斗氏との絶妙な関係性
阿羅斗氏とは、お互いにこの業界に絶望しきった状態で出会ったものだから、
最初は警戒心バリバリで対面することになったのだけれども、
割と早々に、同じような思いで生きて来た事が分かり、なんとなく安堵しつつ、
それでも、いつかはこの関係性にも歪みが生じ、
離れる事になるのかもしれないという気持ちも持ちつつ、
それでも、その時が来たらそれはそれ、さっぱりと終わりたいと思いながらも、
でも、そうならないで欲しいという思いも持ちつつ関わり続けている。
まあ、そうなったらそうなったで、さっぱりと終わるんだけれども。
お互いを尊重しあいつつ、お互いそれなりの距離感で、
互いにそれぞれが無いものを教わり、伝え合い、高めあっていける関係性はとても貴重だ。
お互いが審神者が出来る関係性
阿羅斗氏にもそれなりに確立された世界があり、私にもある。
それが相乗効果を生む関係性というものは、なかなかありそうでないものだ。
なによりもお互いに審神者が出来る事、これは本当に有り難く、
阿羅斗氏の私が行った事の解説はとても理解しやすく、また、詳細で貴重なものでもある。
一人で問答するよりも、正誤が早くはっきりと出るという事は、
地に足のついた自分で居続けたい私にはとても必要なものだった。
極力ロジカルにこのセカイを見て、考え続けたい。
ここが阿羅斗氏と意見が一致しているところでもある。
私の見ているセカイは、間違えれば妄想極まったものとしか捉えられないものであり、
かなり独自の世界観を持ち、故に理解されにくく、また、疑われるものでもある。
また、私も常に自分を疑い続け、一人で問答し、一人で審神者を続けてきた。
がしかし、他者が審神者をしてくれる事がどれだけ貴重な事か、
この業界にいる人間なら分かるのではないだろうか。
我々は、相互に審神者をしながら探求を続けたいだけなんだ
我々は、相互に審神者をしながら、日々探求を続けたいだけなんだ。
そこに変な媚びやマウントや、理屈や言い訳なぞ無用である。
上も下もないという事はそういう事で、
思った事を思ったまま伝え合えれば、それだけで良い。
探求していく中で言葉を尽くす事が必要だとしても、
そこに変な感情が乗らずにいられる関係性は、本当に楽だ。
お互いにふざけているようで、瞬間の集中で様々探求を続けて行く過程で、
日々新たな発見がある。
この探求によって、私や阿羅斗氏が関わる人達を更に助ける事ができれば、本望だ。
いつか、この日々の探求を言葉に出来れば、と思っている。
が、言葉にするととても分かりにくく、良く出来た物語にすらならないものだから、
しばらくは言葉にするにはどう伝えたら良いかを考え続けるのが、
私の阿羅斗氏との関係性の中での役割の一つだと思う。
阿羅斗氏との探求が良く出来た物語として捉えられて、
かつ誰からも理解されなくても良いのでは、と思う時もあるが、
それならそれで、読み物として楽しんでもらえるような書き方を考えようと思う。