【近況説明①】MDSの末期、高リスク群と診断された父について
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【近況説明①】MDSの末期、高リスク群と診断された父について
個別にお知らせした方も何人かいるのだが、
確実にここ暫くは仕事にも影響する事なのでもっと早くにこうやって記事にした方が良いと思いつつ、
もう数ヶ月が過ぎてしまった。
今回、常に危篤状態、いつ急変してもおかしくない状態にある父について説明をしようと思う。
実は2024年11月に、実父が救急搬送された。
とはいえもともと不調を抱えていた父であり、病院嫌いがあまりにも酷すぎて、一向に受診しなかったことも問題なのだが。
自分で救急車を呼んで、私にそのようにLINEをしてきたのだから余程そろそろヤバイと思ったのだろう。
実際。搬送された父は暫くERに居ることになったのだから、あのまま家に居たら苦しみながら人生を終えたのだと思う。
正直、私としては父の状態の悪さは、COPDから来る酸素の不足とそれに伴う心臓の機能の低下だと思っていたので、
それは常々父に伝え、自分の決意が決まったら病院に連れていくので言うように、とは伝えていた。
それでも、なんとかなると思ったのだろう。いや、どうみてもなんともならんのだが。
父とはそれぞれの気質もあり、暗黙の了解的に同居はなし、近距離別居、という状態でいた。
ここ一年は週一~週二の頻度で、頼まれた買い物ついでに様子を伺っていた。
呼吸苦、足の浮腫、顔色、どうみてもとっとと病院へ行け案件なのだが、本人が望むようにするのが一番だと思っていた。
「救急車を呼んだ」という父からのLINE
結果、呼吸苦が理由で免許も更新せず、私が買い物を代行し、引きこもり状態で一年が経過し、
そうしてようやく自分で救急車を呼んだ。
「救急車を呼んだ」とLINEが入った時は、やはり自分も人間なのだなと思うぐらいには動悸がしたが、
それでも確実に入院になると踏んで、先に父の家に行き、
入院で必要になるであろうものを一式揃えてから搬送先を探すぐらいの行動は出来た。
そうして、相変わらずきっちり整えられた父の家だが、整えられ過ぎていて探すのに難儀したものもあったが、
大体のものを揃えて車を出した。
目処は立っていたので車を走らせているところに病院から連絡があり、やはりなと思いながらその病院へ向かった。
そうして言われた通りの場所で父を待っていると、先ずは看護師さんが来て、ERに居るのでと説明をされた。
意思の疎通は出来ますか?と聞いたら可能だという事で、ERに入れてもらい父と話をした。
「家で死にたいな」と一言目に言われたが、どちらにせよ今はそれどころではないので、
そういった相談は後で、と伝え、とりあえず私は現状を把握するのでしばし時間をくれと伝えた。
とても冷たいようだが、うちの会話はいつもこのような調子で、
「無事で良かった・・・!」と泣き崩れるような光景は無い。
確実に冷静ではない状態で、極力冷静に状態を把握しなければ、とそれだけを思っていた。
良い医師との出会いと、延命なしの判断
今回はまずは呼吸器内科の医師が担当したようだった。
呼吸苦で救急車を呼んでいるのだから当然そうだと思う。
この後、血液内科の医師と、循環器内科の医師とのチーム体制となるのだが。
私はこの医師をとても信頼している。
きっと、この医師の言葉を冷たいと言う人もいるだろうが、私はオブラートに包まないでくれる事が有り難かった。
こういう時に知りたいのは事実と正しい視点だけで、情は求めていない。
「まず、血小板が4(x103/μL)、正常値は158~348(x103/μL)、この時点で重度の貧血であり、
なぜ喋っていられるのかわからないぐらいに悪い。
何だったら今すぐ息を引き取ってもおかしくないぐらい悪い。
確かにCOPDはあり、肺の機能は1/6ぐらい残っている程度であとは機能していない状態にある。
けれども自分は他にメインとなる原因があると見ているのでそれは今から検査をしたい。
なのでまずは意思の疎通が出来る間に、御本人と御家族に延命するかしないかの判断をして欲しいと思う。」
「ただ、正直、自分の立場だったらここまでの数値でしたら延命は望みません。」
「私は、本人が一番苦しまない方法があるのでしたらそれだけはお願いしたいですが、無駄な延命は望みません。」
「もちろん、本人が苦しまないようにすることについては延命とはまた違うと思いますから、それは最善を尽くします。」
というわけで、私は即決で「延命は希望しない」という書面にサインをした。
医師はその後父のところへ行き、同じような事をそのまま伝えた。
あまりにもスッパリハッキリ伝えるので、父も最初はその様子に驚いていたようだが、
(自分の寿命のことではなく、そのスッパリハッキリっぷりに)
父も、延命はしなくて良い、と言い切り、同じように「延命は希望しない」という書面にサインをした。
それ以外にも輸血や様々な検査や処置があり、このまま入院となるので色々とサインをした。
正直、これは一週間が良いところか、とその時は思っていた。
子ども達にも伝えて協力体制を作る
帰宅した後、そのまま娘と息子、それぞれに起きたことと状況を説明した。
どちらも冷静に話を聞いてくれ、また、病状について積極的に知ろうと調べたりもしていた。
何よりいつ急変するかわからないのでまずは皆を早めに見舞いに連れて行くこと、
その後の事はその後考える、で一旦話は纏まった。
娘は「あまり顔を出していなかったから、出来る限り手伝いたい」と申し出てきて、
息子はまずは進学もあるし学業に専念するのが孝行だ、と伝えると、
「それはそうだな、けれども居なくなるのは寂しいと感じる」と答えた。
いくつかの突然の別れを経験してきた娘と違い、息子はまだ人の死には直面した事がない。
恩師がASLになり顔を出した時に、もう目で文字盤を追う、
いわゆる透明文字盤を使ってのコミュニケーションしか取れなくなっている事に、
いささかショックを受けて帰ってきた事があったぐらいである。
きっと、これからもっと色々思うことがあるだろうと思いつつも、
それも先々の学びになる必要な事であると思っているので、悩みながらも学んで欲しいと思っている。
娘については、今も積極的に協力してくれ、とても感謝をしている。
生命力という底力を見せつけられる
そうして翌日は学校がある息子は諦めて貰い、娘だけを連れて病院へ向かった。
感染性の影響で面会時間が限定されていて、あれは会社員や学業がある人には無理なんじゃないか、という時間設定で、
正直、みんなどのように調整しているのだろうと思う。
病院へ向かう際に、ワイヤレスイヤホンを父宅から探し出して持っていった。
元気なら退屈しているだろうと思ったからだ。
また、孫の顔を見れば少しは元気になるかとも期待していた。
ERに入ると、父はとてもしょぼくれた状態でベッドにいた。
状態も悪いし、輸血は継続されていて、かつ検査に振り回されているだろうから当然だろうと思った。
しかし、看護師さんが言うには、「昨夜もしっかりと夕飯を食べた」との事で、
どうも「いつどうなってもおかしくない」父は、食事を完食するぐらいの体力があるようだった。
じゃあなんでしょぼくれているのだろうと思い、ここは孫と会話したら少しは元気になるのかとも思い、
自分は医師との話があるので、娘にワイヤレスイヤホンを渡し、「お前が会話したら多少は元気になるだろう」と告げ、
そうして携帯とワイヤレスイヤホンを繋いで充電も出来るようにしてやってくれと頼んでERを出た。
医師との話を終えて戻ると、笑顔でシャキッとした父がいたので孫効果があったかと思ったが、
後々娘に聞いたら「孫効果じゃなくて、ワイヤレスイヤホンが届いた事でYoutubeが見られる事でシャキッとなった」という事だった。
81歳の父が孫ではなくYoutubeで元気になる、というのもちょっと考えるものもあるが、
それでも、父は元々がそういう人なので、まあ、そうなのだろう。
Youtubeが生命力の支えになるのは良い事だと思う。
それから連日ERに通ったが、父は相変わらず状態は改善しないのに食事は完食するし、
内緒でなんとか甘いものを、と懇願するようになった。
仕方ないので「通りもん」をこっそり持っていき、一回に一個、と口にほおりこんだりしていた。
正直、改善の見込みがないのだから、好きなものを食べれば良いと思っていたし、今でもそう思っている。
うーん、持って数日か、と思っていたが、それから一週間が経ち、一般病棟に移る事になった。
一般病棟でも輸血と酸素を続けつつ、一ヶ月ぐらいは入院するものかと思っていたが、
たった一週間ぐらいで在宅酸素の使い方を学んで退院して貰う、という計画になっていたようだ。
「いや、こちらにも準備があるのでさすがに一週間は勘弁してください」と泣きついて、
なんとか10日に延ばして貰ったが、さすがに聞いていない話すぎてこちらが非常にバタバタとする羽目になった。
MDSの末期、高リスク群という診断
結論からすると、搬送から続いた検査で、血液内科の先生が下したのは、
MDS(骨髄異形成症候群)の末期であり、急性白血病に移行しやすい高リスク群であるという事だった。
【参考:MDSとは?】
https://www.kyowakirin.co.jp/mds/about.html
Copyright(C)Kyowa Kirin Co., Ltd. All rights reserved.
MDSはいまだ治療方法が確立されておらず、また、難病指定もされていない病気で、
人口10万人あたり年間に3~4名程度の発症(近年増加傾向)という病気である。
それでも上手に付き合って行っている方々も居るようだが、
父の場合は既に末期まで進行し、他の臓器もボロボロであり、また高齢であることもあり、
積極的治療が逆に命を落とす事になるという事で、積極的治療は行わないとなった。
血小板が作られない事が父の場合はメインであり、他、赤血球、ヘモグロビン、ヘマトクリットの値も悪い事から、
週一回の血小板その他の輸血を通院で行う事となり、また、シクロスポリンを様子を見ながら投与する事となった。
最初の段階で酷い貧血状態だ、と言われた原因はここにあり、
呼吸苦も貧血によるものが大きかった、という結論だった。
延命の為でも治療の為でもない、ただただ呼吸苦をなるべく取り、QOLを維持する為の輸血であり、
正直、貴重な血液をと申し訳ない気持ちもある。
輸血に協力して少しでも貢献したいところだが、私は申し出ても毎回検査で献血を断られてしまうのでそれも出来ない。
本当に、献血をしてくださる方々に心から感謝と御礼を申し上げたい。
そうして週一回の輸血通院、月一回の全科受診と検査の日々が始まったのだが、
この輸血通院がなかなかに生活の負担になってしまった。
毎回、朝一番に病院へ連れて行き、夕方に終わり送り届ける。
それ以外にも毎日顔を出しては様子を見、そうして会話をし、食事を届け、なるべく楽しい毎日を送ってもらおうとすることが、
だいぶ私と娘の大きな負担となっているのは事実ある。
息子は学業優先としてもらっているので毎日顔を出さなくて良いと伝えているが、
様子がおかしくなったらすぐに言ってくれと言われているから、心中穏やかではないのだろう。
それでも娘は父と楽しそうに会話をし、「普通」に過ごしている姿を見るに非常に頼もしさを感じている。
ただ、無理をしてこちらが倒れてしまっては元も子もない。
実際、それぞれに既に何度か倒れたわけなのだが、なるべくそういう事が起こらないようにしようという話し合いも何度もしている。
訪問看護は週に二回入って貰っているし、それもとても心強くある。
家族には言いづらい事を話す機会にもなるし、頼みづらい事もお願いする機会であると思っている。
ある時は深夜に駆けつけてくれ、年末ギリギリまで仕事をし、年始も早々に仕事を開始してくれて感謝しかない。
病院の先生方もいつも誠意を持って対応をしてくれ、また正直であってくれることが本当にありがたい。
いつまで続くか分からないこの日々が、どういった形になるのかは未知数であるが、
今現状として、無理をしても無理が出来ない状態になることがとても増えた。
24時間365日休まない事、もちろんすぐに対応が出来ない時もあるが、極力早く対応すること、
これがモットーだった私の考えは、今は実行出来ない状態にある。
大変申し訳なく思うが、ご理解をいただけるとありがたいと思っている。
―近況報告①、終わり。②以降に続きます。