固定概念を外すということ、多面性を認める・見つけるということ。それだけでも心は囚われから外れることができるんだよ
目次
固定概念に囚われがちな人たち
※この内容は、明らかに虐待やDV等の被害を受けている方には当てはまらないのでどうぞご注意を。
さてさて、固定概念に人は囚われやすい。
視野が広い、心が広いと自称しつつも、その固定概念に囚われたまま見渡しているだけで、結果主観が入っている事はとても多い。
固定概念=人や物ごとをある面からしか見ないという事で、それは決めつけや押し付けに繋がる。
「あの人のこういう所が嫌い。だからあの人の全てが嫌い」人はこうなりがちだ。
人や物ごとは全て、無数の面がある。嫌いなあの人にだって、別の人に見せる別の顔があり、あなたが気が付いていないだけで、あなたに対しても別の面も見せているかもしれない。
しかし人は、「固定概念」という箱に入ってしまうと、別の面を見る事をやめてしまう。
例え見えていても、無意識のうちに見えなかった事にしてしまう。
人や物ごとを多面から見て総合的に判断して、それでも嫌いならばそれでも仕方ない。
人は相性というものもある。
しかし、狭い視野で全てを決めつけて、それがその全てであると勘違いしたままでいる事は、あなたにとっても勿体無い事だし、成長の妨げにもなる。
そういう人にありがちなのは、「こうでなければならない」と思考が凝り固まってしまい、相手にもそれを押し付ける行動だ。
それはあなたの価値観であり私の価値観ではないと伝えても、それを受け入れる器もない。
そうして物事が上手く行かなかった時に、自分を顧みる前に相手に責任を押し付けて満足する。
「お前がこうしなかったから、上手く行かなかった」。
一つの思考を加えるだけでも随分と人は変わるもの
そこに一つの思考を加えてみよう。
「こうなってしまったけれども、自分に出来ることはなかったのだろうか」
この思考のトレーニングは、自身の成長にとても役に立つ。
ずっと人を自分の狭い視野で決めつけて、押し付けて生きて行くよりももっと素晴らしい人生になる。
「出来ることはなかったのか?」の思考から、自分はなぜあの時ああいう行動に出たのか、相手はどう思って行動したのかをずっと深く考えてみる。
それでも理解し難い事はあるだろう。
しかし、その事象は改善しなかったとしても、この思考の癖は今後のあなたの人生においてマイナスになることはまず無いだろう。
とても簡単な2つ目の思考の提案
あと一つ。「良いところ探し」。
綺麗事に聞こえるかもしれないが、この思考もとても役に立つ。
人を完全悪と決めつける前に、まずは人として多面から見てみる。
良いところが何もない人って実はなかなかいない。
どんな悪人であっても、ささやかなことの一つはあるはずだ。
「姿勢が良い」「指が綺麗」でもなんでもいいのだ。
ここまでやってから、好き嫌いを決めるように癖付けすれば、人はもう少し生き易くなると思う。
人の一面だけを見て、ずっと陰口を叩いたり虐めたりしている人よりも余程幸せな人生を送れると思う。
ここまでやっても嫌いなのであれば本当に嫌いなのだから、それはどうしようもないが、思考の癖を身に着けることで、自分のキャパは圧倒的に増えるので、間違いなく心が少々楽になる。
「嫌いだけれども、こういう良いところはある」という相反する思考回路を持つことは、自分の心を楽にする方法だと思う。
ここまでやっても無駄だったケースももちろんあるよ
しかし、こう書いてはいるが、私にも「今すぐシんでくれて構わない」と思う人物がいる。
それでもその人物に良い所がある事も知っている。
その人物が抱えているであろう辛さも、私の想像ではあるが多分当たっているだろうと思っている。
が、私はその人物の思考回路がどうしても受け入れられないし、私に与えたダメージは計り知れない。
他者否定と自己是正のカタマリのその人物は私には良い影響はとうてい与えなかった。
何年もかけて私はその人物の良い所と自分が受け入れられない理由、それから、何か出来ることはなかったのか?を考え続けた。
しかしその間にもその人物は、私の一面しか見ずに攻撃を止めなかった。
私だけがダメージを負うレベルならまだ良かった。
私の家族にまで影響が出かねない攻撃だったのが、余計に私を悩ませた。
そうしてある日、完全に吹っ切れた。
「今すぐシんでくれて構わない」
これはとても重たい感情であると同時に、とても軽い感情である。
この人物について私が出来る事はもう無い、という結論に達したのだ。
「今すぐシんでくれて構わない」(が、私や家族に影響がないのであれば好きにすればいいと思う。)という気持ちである。
こんな人物ではあるが、私にトレーニング期間を与えてくれたこと、こういう思考回路を持つ生き方を教えてくれたことは本当に感謝している。
この考え方を持つことで、人を穿った見方で見る事はなくなった。
人を自分の視野や知識、考え方の範囲で決めつけることもなくなった。
それに、心底嫌いな人なんて世の中にそんなにいないんだ、ということにも気が付いた。
そして、その圧倒的少数の「嫌いな人」の為に心と時間を割くこともとても無駄に感じるようになったし、同時に、自分らしくある=我儘ということではなく、他者との共存との折り合いの部分があって、その割合の比率を自分の中で決めてようやく成り立つものだということも理解した。
良い意味で「人を疑おう」
人も物ごとも、「良い意味で疑う」ことはとても大切な事だ。
相手の思考を知ろうとすることは経験値を上げるトレーニングにおいてとても重要だ。
とはいえ、能力者は、他の能力者を否定しがちな部分が多い。
(故によく揉める)
しかし、それぞれの能力者はそれぞれの能力があり信念があり行動している。
その能力者の考えや能力を理解してみる事も、とても大切なことだと思う。
それこそ自分の能力アップにも繋がる。新しい能力ゲットという、棚ぼた的案件が起こることも無きにしも非ずだ。
「固定概念を外すということ、多面性を認める・見つけるということ。それだけでも心は囚われから外れることができるんだよ」
※改めて書くが、この内容は、明らかに虐待やDV等の被害を受けている方には当てはまらないのでどうぞご注意を。
そんな状態で良いところ探しなんてものはしなくて良い。
出来る事はあなたがそこから逃げる事だ。
虐待やDVのある環境下に置かれると、人の思考は狂ってしまう。
でもそんなあの人にも良いところがあるの、というのは洗脳でしかない。
逃げてくれ。