自分の感情の引き出しは自分で選ぶ。どんな感情であれ、選んでいるのは自分だ。
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ある日の天元
「イライラして収まらないんだ」
弟子の天元はここの所ずっとイライラとしていた。理由を聞けば私から見ればとても些細なことで、疲れているんだろう、と私は返答した。人は疲れが溜まると心が狭くなる。仕方の無い事だ。
しかし、天元は、この自分でもどうにもならないこのイライラをかなり持て余していた様子で、後日再度、私に同じ事を言った。そうして、何故ここまで自分がイライラしているのか分からない。どう抑えて良いのかも分からない。と付け加えた。
感情は自分で選べる
成程な、自分の感情がなぜこうなっているのかが分からない、という事だな。ならば天元よ、ちょっと聞いてくれぬか。
「感情は自分で選べるんだ」
喜怒哀楽、もっと細かな感情が、自分の横に引き出しとしてあると考えてみたら良いと思う。
何か事が起こった時に、そこで怒りの引き出しを開けるか、まあいいかの引き出しを開けるかは自分自身で選べるんだ。
その引き出しの存在を認識すれば、もっと感情と上手く付き合えるのでは無いかな。
勿論、その引き出しは自由自在に開けることが出来る。
なので、敢えて遠慮なく怒りの引き出しを開けても良い。
それが自身の選択であれば、それでもきっと後悔もないだろう。
または、勢い余って怒りの引き出しを開けてしまっても、ああ、この引き出し開けちゃったんだ。って気がついたなら閉めて別の引き出しを開けたら良い。
きっと天元は、自分がどの引き出しを開けたのか分からないからずっとイライラしているのだろう。
単に感情と向き合えと言われても、それは難しい事もある。だから引き出しを認識するんだよ。
そうする事で感情を正しく認識する事は大事な事だ。
「お前が異常に感情の切り替えが早いのはサイコパスだからだとばかり」
…今すぐ怒り爆発でお前に暴言を吐き続ける、という引き出しでも開けてやろうか。
私は私の引き出しを自由自在に選べるからな…。
まあ、サイコパスの気質があるかもしれないのは認めよう。
そうだな、私は元、鬼畜能力者と名乗っていた者、だからな…。
今、盛大に誤解を招いている気がするが、続けようか。
感情の引き出しと、その中身の認識
それで、だ。
その感情の引き出しを、間違えたからと閉めようとしたとする。
しかし、何かが引っ掛かって閉まらない。そんな事もある。
そうしたら天元はどうする?引き出しが上手く閉まらない時は、何が引っ掛かっているのか確認するだろう。
閉まらないならその引っ掛かっているモノは何なのか確認する。
それがその感情の引き出しを開けた理由において、消化しきれていないモノだ。
それを確認出来れば、自分が具体的に何に対してこの感情の引き出しを開けたのかが分かるだろう。
そうしたら次は、そのモノを取り除く作業だ。
まずはそれが何なのかを正しく認識する事。
靴下なのにパンツと認識しては意味が無い。
靴下を靴下と認識し、それをどうすべきかを考える。
もし、取り除くだけで良いならそれが一番良い。
認識した瞬間にどうでも良くなったのだろうから、引き出しは閉まるだろう。
しかし、認識はしたもののなかなか取り除けそうにもない場合には、それを取り除く方法を探さなければならない。
それは、相手に自分の気持ちをぶつけないと取り除けそうにもなかったり、思い切り泣いてみれば取り除けそうだったりするかもしれない。
方法を模索し、どれを選ぶのかも自由だ。
ただ、闇雲に何が引っ掛かっているのかも分からないまま引き出しを無理矢理閉めようとしたり、投げやりに引き出しを引っ掛かっているモノがあるまま放置したり、そんな事をするよりも、方法を模索する方がはるかに感情の整理は早くなると思う。
しばらく眺めているうちにどうでも良くなって、あっさり取り除けるかもしれない。
または、それは無理でも最悪の選択はしなくて済むかもしれない。
だから、この引き出しを常に意識すると良いと思うんだ。それは自分自身の為だ。
「じゃあ、お前は怒り狂っている時は自分でその引き出しを選択しているんだな」
ああ、その通りだ。私は何度も自分で自分の引き出しを確認し、それから怒り狂います、という引き出しを選んでいる。
そうしたいからそうしているんだ。
慣れてくると、自分の感情を客観的に見れて面白いぞ。
さあ、どの引き出しを開けようかな。テッテレー!暴れちゃいますー!とか。
内心笑いが止まらなかったりな。
「やっぱりサイコパス…」
うん、今から私は天元をいびり倒す、という引き出しを開ける事にしようではないか。
まあ、試してみろよ。悪い事は言わぬ。お前の感情をお前が決めてみる、
ただそれだけだ。何事も楽しもうぜ。
私も今から、天元に対して自分で選んだ引き出しで、天元と遊ぶ事にするからさ(ニヤリ)
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