【近況説明④】現状:周りの理解を得るために「伝えること」の大切さ
目次
【近況説明④】現状:周りの理解を得るために「伝えること」の大切さ
とにかく関わる人たち全てに対話を求め続けた日々
③からまた更に数ヶ月が過ぎてしまった。
相変わらず、データとしては常に危篤、いつどうなってもおかしくない父。
年末についに医師が、「この数値で家に帰せない」と宣言し、入院となった。
症状は悪化しているものの本人は相変わらずである。
相変わらず受け入れは難しいようで、そろそろ最期に向けての言葉だとか、
家の整理の事等を言ってくれても良いと思うのだけれども、
「あちこち振り回されて気がついたら入院していた」
だとかまあ、とにかく相変わらずである。
このままが良いならこのままで良いのだろうと、
そろそろこちらも「父に何も求めない」の境地に行き着いてしまった感がある。
この空白期間は、タイトル通り、
周りの理解を得るための「伝えること」の大切さ
に終始していた。
私はとにかく「伝えること」を諦めない性格で、
たとえば訪看・訪問介護のスタッフやケアマネや医師、
それぞれと情報を交換しあう事を常に求め続けたし、沢山の対話をしてきた。
父のダブルスタンダードな性格故に、
それぞれの父への認識と、私の父への認識に大きなズレがあった事がその対話を求めた大半の理由である。
大げさだなあとか、どっちが本当かだとか、色々な雰囲気を感じながらも、
それでも「もっと付き合っていけば父の事がわかると思う」と一歩も引かなかった。
逆に、「わかった時にしまったと思わない為に伝えている」とも伝えた。
結局はそれぞれの対話が良い方向に結果が出て、皆からあとになって、
「言っていた通りだった」という感想をいただけたので良かったとも思う。
介入してくれる人たちや、私が、それぞれ別々のところで悪者扱いされてしまう、
そんな父の使い分けを誰もが理解してくれなかったら、
それぞれの間に歪みが起きて、色々な連携がスムーズに行かなかったと思う。
そうして作り上げて安堵した途端に、医師からの「この数値で家に帰せない」宣言。
そうして長期療養型の病院への転院。
つまり、今まで作り上げてきてやっと形になったメンバー全てと離れる事になってしまった。
ケアマネさんからは、「また一から対話していくことになるけれども頑張って」と言われた。
そうして、在宅通院でなくなった以上、関係性は終わるけれども、時々顔を出してねとも言って貰えた。
情報収集のためでもある、とフォローしてくれたけれども、私の心の置き場を心配しての発言であるから有り難い。
地域連携室Mさんという存在、そうして新たな病気も出てしまったこと
そんな中で唯一トラブルになったのが、前の病院の地域連携室のMさん。
病院名も名前も書かないけれども、自分の求める理想論の為に患者家族を巻き添えにするタイプ。
私が地域連携室に相談したかったのは単純に次の受け入れ先の病院であって、
Mさんが求める「父子の和解」とか「理解しあった父子が共に手を取り合い終末期へ向かう」とか、
そういう理解世界の実現の為じゃない。
各家庭色々な事情があるわけで、「話し合えば解決する関係性」と「もうどうしようもない関係性」というものがある。
うちは後者だ。うちに話し合いが出来る関係性や可能性なんてどこにもないんだよ。
なのに「まずは今こそお父様と話し合って和解すべきです。受け入れ先の病院はそれが終わるまで紹介しません」って、
あのさ、Mさんは人の家庭をなんだと思ってるの?
あなたの理想論の実現と実績作りの為に、なんで利用されなければならないんだよ。
で、「それをやらないなら受け入れ先は教えない」って、どういう権限なんだよ。
そうしてMさんと話している間にどんどん具合が悪くなっていって、
その後、その足で父の病室へ行ったら相変わらずのワガママ放題で、
私の中で何かが折れたのだろうね、それから高熱を出して謎のリンパの腫れで寝込んだ。
「耳下腺炎」というのが最初の診断だったのだが、
それが、右、左、右、左・・・と繰り返し起こる事で、医師が膠原病を疑って大きい病院へ紹介状を書いた。
ただ、症状が引いている時もあるのでなかなか確定診断に至らないまま、
入院をしたり退院をしたり、検査をし・・・そういった事を繰り返し、
ついには大学病院に回される事になった。
タイミングがタイミングだったので、とても強いストレスを受けて免疫が暴走したんでは、
それで発症のトリガーになったんではないか、とどこかで思っている。
もちろん、長い間薄っすらと症状はあったんだから、いきなりということではないけれども、
大きく爆発する引き金になったんだろうとはずっと思っている。
それぞれの先生たちは、簡単にステロイドを出したくない(一生飲まないといけなくなるから)ということで、
とても慎重に丁寧に診察をしてくれているので、本当に有り難く思っている。
まず膠原病を疑ってくれた地元の耳鼻科の先生。
そうして膠原病内科に力を入れている大きい病院の先生。
それから、膠原病研究で割と成果を上げている大学病院の先生。
時間がかかっても、ちゃんと膠原病の中でどれにあたるかの確定診断が出る事を心から願っている。
黙ることが美徳のこの国で、クレーマーと誤解されても
そんな体調の中で、さすがに地域連携室のMさんの対応はないと思い、
地域包括支援センターやケアマネや、そうして知り合いの市議さんにまで相談をした。
市議さんに相談をしたのは、役所の地域包括室の中心部と話をしたかったからだ。
自分の事は自分でなんとか出来るにしても、
私みたいに声を上げる事が出来ない、そんな人がいたら間違いなく傷つくし、
そうして色々な事を諦めてしまうと思ったし、そんな人が過去にもいたかもしれないことがなんだか許せなかった。
別に自分がクレーマーと呼ばれてもそれは別になんとも思わない。
でも、地域連携室の役割というものを勘違いしていませんか、ということと、
Mさんの理想論のために人が辛い思いを心に閉じ込めてしまう事は間違っていませんかということと、
とにかくそれが伝わって改善されればそれで良かった。
その病院の苦情相談窓口に電話すればいいじゃんと言われるかもしれないが、
それが地域連携室だったので外部に相談するしかなかったんだけれども。
子供の事、自分の事、他人の事、どんな時でも、私は黙って我慢することを美徳としたくはない。
それは思ったことをワガママに言っていいという事ではなくて、
どう考えてもおかしいと思った時におかしいのではと言える自分でいたい。
それはクレームではなくて問いなのだけれども、問いではなくクレームとして見られるかもしれないが、
私は責め立てる事を趣味としているわけではない。
でも、この国では「問い」=「クレーマー」と見られやすいのも分かっている。
自分の意見を言うことと、理不尽な難癖を付ける事がごっちゃに見られ、
そうして黙る人が美しいとされる国である事はよく理解している。
でも、自分の周りに被害が及ぶと思ったら、それでも黙っている事が美徳なんてありえないと思う。
色々とある意味で非常に勉強になった期間でもあったし、
そうしてなんとも言えない気持ちを味わった期間でもあった。
これでもだいぶ期間を開けて書いているので、言いたいことは省略されている方だ。
直近に書いていたらもっと詳細に書いていただろうし、それは求められていなかったとも思う。
ただ、色んな方向に向けて戦って得たものが、
いつか誰かの役に立てばいい、そう思って近況ばかりを更新している。
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再度、同じ締めの言葉になるが、
いつまで続くか分からないこの日々が、どういった形になるのかは未知数であるが、
今現状として、無理をしても無理が出来ない状態になることがとても増えた。
24時間365日休まない事、もちろんすぐに対応が出来ない時もあるが、極力早く対応すること、
これがモットーだった私の考えは、今は実行出来ない状態にある。
大変申し訳なく思うが、ご理解をいただけるとありがたいと思っている。
―近況報告④、終わり。⑤もまた掲載予定。
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