「かわいそう」という言葉の毒。
BLOGコラム霊能者の日常巫の独り言思考を変えれば人生が変わる
目次
かわいそう、という言葉を連呼する男性との件。
ある年配の男性から電話で相談を受けていた。
色々と相談を聞いていて随分長い時間が経過していて、そろそろ電話を切ってもいいんではないかと考え始めた頃だった。
ふいに、その男性が初恋の人の話を始めた。
その初恋の人は、地元の悪ガキ達に目を付けられて、どうやら強姦をされたらしく、それを苦にして自死をしたらしい。
「一人で悩んでそうしたのだと思う。私も、その人の家族も、救ってはやれなかった。」
「今でも、きっと私の事を恨んでいるかと思う。」
「そうして、今でも浮かばれずにいるんだと思っている。本当にかわいそうに。」
「ああ、本当に後悔しかない、かわいそうな事をした」
「かわいそうに」
その男性は多分、私に同情でもしてもらいたかったのかと思う。
かわいそうですね、その方、今でも悔しいと泣いていますよ、と。
がしかし、私は残念ながら、そんなに心優しき人間ではないし、そんな生温い同情ごっこに付き合っている暇なぞない。
「あのね、すみませんが」
「さっきからかわいそう、かわいそうと連呼していらっしゃいますけれども、貴方は何をもってかわいそうと言っているんでしょうか」
「え、自死をした事です。かわいそうじゃないですか」
「あのですね、自死=かわいそうっていう概念は貴方が勝手に持っているものですよね。本人に聞いたんですか?自分はかわいそうです、と」
「その方は自分自身の尊厳を守る為にその手段を取ったとは解釈できないのでしょうか?その方が決めた事です。それを貴方は尊重するどころか、かわいそうかわいそうと貶めて、しかもそれを長年口にし続けて、その方の死を穢しているのは貴方じゃないですか」
「かわいそう、という言葉は、貴方が”上”です。何故貴方はあれやこれやと嘆きながら、その方を”下”に見ているのですか?」
完全に、意味が分からない、という雰囲気が伝わってきた。そりゃあそうだろうな。
それが見下しの言葉であることを理解していないから、伝わるはずもない。
「〇〇してやったのに」「〇〇してやればよかった」という言葉、そうして「かわいそう」という言葉。
全てが”上から目線”の言葉であるという事に気が付いていないから、私の言う事なぞ伝わるはずもない。
その言葉達の裏側には、「優越感」「下に見ている」感情が強く込められている事に気が付いていないから、平気でそういう言葉を使うのだ。
ある層の人は”かわいそう”という対象を見つけるのが好きなようだ。
困窮している人、障害がある人、なにやらとにかく不幸そうな人を見つけると、かわいそう、かわいそうと騒ぎ立てる。
そうしてその言葉の裏側には「でも自分は違う」という心が透けて見える。
「ああ、自分はあそこまで酷くない、良かった」という心だ。
「かわいそう」という言葉には毒がある。
その「かわいそう」は、相手を必要以上に貶める。
その当事者は自分の置かれた環境を悲観していなくても、それどころか楽しんでいたとしても、「かわいそう」と決めつけられ、そうして、その言葉を発した人の優越感に浸るアイテムとされてしまう。
私はよく「かわいそう」という言葉をぶつけられる。「能力者でかわいそう」「理解されない、日の当たらない能力者でかわいそう」
”かわいそう”の毒を私に浸透させ、私が自分から”私ってかわいそう”と言うようになるまで、毒が回るのを待っている。
勝手に、孤立した能力者のイメージを植え付けられ、世間からのはみ出し者として扱われ、かわいそう、かわいそうと寄ってくる人間を沢山見てきた。
「でも、私は味方だからね」
そんなもの、こちらから願い下げだ。私は私の好きに生きている。
そう答えると「心配して”やった”のに」「味方になって”あげる”って言っているのに」と不満げな顔をされる。
そんな奴らの優越感に浸るアイテムにされてたまるか。
嫌われても良い、私は伝え続ける。
・・・という事をその男性に少しだけオブラートに包んで伝えた。
ほとんどオブラートは破れていたかと思うが。
「そんな事を言っている暇があるなら、その方に竜胆の花でもお供えしたらどうですか?その方、竜胆の花が大好きだって言っていますよ」
男性は泣き出してしまった。またやりすぎたか。
「そうです、あの人は竜胆の花が大好きでした。私はあれやこれや言いながら、今日までそんな大事な事も忘れていた。明日、知り合いの花屋に聞いてみます」
「思い出したなら良かったです。是非お供えして差し上げてください」
「こんなに打ちのめされたのは、人生初めてかもしれません」
・・・つまり、またやりすぎたんだな。
その男性は律儀に翌日には行動し、まだ凹んではいるが、それでも気分が良いと連絡をくれた。
私はその男性に嫌われたかもしれないが、それでも良い。
肉体が消えても尚、かわいそうという言葉に縛られたままでいた人が、竜胆の花を見て笑顔になれたのだから、それで良い。