けがれ・穢れについて。気枯れの状態からの脱出。「穢れ」「汚れ」は気枯れの隙を突いてくる
目次
けがれ・穢れについて。気枯れの状態からの脱出
けがれというのは一般的には「穢れ」「汚れ」と書く。
一般的な穢れの観念とは、不浄なもの。
この穢れの解釈は個人の宗教観・価値観・文化によって様々な基準が存在し、一概にこれが穢れ、と断定できるものはないと考える。
「じゃあそのけがれを祓ってください」 と言われる事が多いのだが、そもそもけがれは祓うものではない。
実は「けがれ」という言葉にはもう一つの意味がある。それは「気枯れ」。
気枯れはエネルギーの枯渇状態にあること
穢れ・汚れよりも、何よりも意識しないといけないのは、この「気枯れ」という言葉。 今回は、この「気枯れ」について書こうと思う。
文字があらわす通り、「気枯れ」は「気が枯れる事」。 つまり「エネルギーの枯渇」をあらわす。
人・土地、森羅万象全てのモノにはエネルギーが宿っている。
そのエネルギーが枯れている状態、気が枯れている状態であるという事は、そもそもそのモノがアンバランスな状態になっているという事だ。
現代社会では、「気枯れ」の状態にあるモノが非常に多く、それは「在るがまま生きる」「在るがまま存在する」という事が難しくなったこの世の事情も大きく影響していると考えらる。
例えば、自分の心の中の違和感、行動と心情の矛盾、こういった事も、エネルギーのバランスが乱れてしまうことで「気枯れ」へと繋がる。
気枯れが起こると、やる気がなくなったり、負の感情へ振れやすくなり、何事もうまくいかないと感じるようになる。
目の前に楽しい事があってもそれを感じるアンテナが鈍ってしまい、それを見つけることもできなくなる。
もう一つの要素は我欲にとらわれていること
また、もう一つの要素として、「我欲」にとらわれている状態においても「気枯れ」となる。
エネルギーは上辺の言葉で隠す事はできない。 いくら心にない言葉を口にしたところで、その本質は嘘をつけない。
そして、我欲にとらわれている気枯れの状態となるとネガティブな感情が次々湧いてくる。
例えば、思い通りにならずにイライラしたり、落ち込んだり、なぜ自分だけが不幸なのだろうと思う事はないだろうか。
「思い通りにならない」という事は「思う事」という我欲があるという事になる。「自分だけが不幸だ」と思うという事は「他人を羨む気持ち」が大きくなっている事になる。
その根本には「我欲」があり、気枯れの悪循環を生み出している。
どうしたら気枯れから抜け出せるのか
このようにあらゆる要素から起こる「気枯れ」。
では、どうしたらこの「気枯れ」の状態から抜け出せるか?
まずはスタートラインとして、神社仏閣、または自然の中など、「気が満ちた」場所へ足を運んでみると良いと思う。
何も考えずに、その地の気が体全体に行き渡るように、ゆっくりと深呼吸をすると更に良い。 わざわざパワースポットを求めて遠くへ行く必要はないのだ。
例えば近くの海でも川でも、山でもなんでも良い。自分自身が「ここにいると気持ちが満ちるなあ」と心地良さを感じることが出来れば、それは「気枯れ」からの脱出の一歩となる。
「在るがまま」である事が難しい時代ではあるが、それでも「在るがまま」を追求する時間を少しでも作る事が、自分自身をより良い方向へ導く一歩となるのだ。
「穢れ」「汚れ」は気枯れの隙を突いてくる。
つまり、気を満たすという事は防御につながる。