天安河原の神と積み重ねられた石【霊能者が見るセカイ】
目次
ある日、天安河原に呼び出された。
天岩戸神社のすぐ傍にある「天安河原」
ここに呼び出されて向かったのは、真冬だった。
ここにいるのは「オモイカネ」
天岩戸伝説では、アマテラスの岩戸隠れの際に、天の安原に集まった八百万の神々の話し合いの際に、知恵を授けた神として有名である。
ここはパワースポットだと言う人と、怖いと言って近寄らない人と二分される場所であるが、正直私はパワースポットだとはあまり思わない。
かといって怖い目に遭うとかそういう事ではなく、それ相応の気持ちを持って行った方が良いと思うよ、という場所である。
能力者の中でも、近寄らない人、または無理矢理近寄ってぶっ倒れた人、そういう話も聞くので、敏感な人は特に、それ相応の気持ちを持って行って欲しいと思う。
オモイカネからの依頼
今回、私はお呼び出しのメッセージがあったので行ったわけだが、もともと私はこの場所は嫌いではなかった。
少々魔界感もあるし、かつ黄泉の国感もある。なんなら好みの場所だ。
「久しぶりだな、オモイカネ」
丁度誰も居なくなったので呟いた。
(それにしても人間臭いな)
人間臭いという例え話ではなく、本当の意味で人間臭かった。
つまりもう少し分かりやすく言えば、人間の念が充満していている状態という事だ。
「しかしまあ、どうしたんだ。呼び出した案件はあらかた見えたが」
「この場を見てわかるだろう、人間の念、願望の念が満ちていて乱れている」
「まあ、今回は特に充満しているよね。で、つまりその念の呪縛で力を封じられたから解放しろ、という事か」
人の願望というものは時に呪詛になるからなあ、と私は辺りを見渡した。
無数に積み重ねられた石。色々な人が色々な思いを乗せて積み上げた石だ。
しかしここはいつもこうである。この石が無い状態を私は見た事はない。
「社の周りにある石が私を封じていてな、動けぬ」
「ああ、なるほど、全体ではなくお社の周りの石の話ね」
「この石を崩せば、この呪縛は解かれる。頼んだ」
その依頼は”ある意味”リスキーな行動
オッケー任せろ!と言いかけて私は考えた。
ここは観光地。積み上げた石を崩す人間を他の人が見たら、それは間違いなく人の願望を潰しに来た「キ印の人」。さすがにそれはマズいだろう。
「んー・・・、多すぎて全部は難しい。が、人が来るまでならば了承しよう」
幸い今は無人である。
人の気配がしたらすぐに止める、と宣言して、私はオモイカネの頼みを承諾する事にした。
なるべくオモイカネに近いところから、私は石を崩していった。
石を崩したからと言ってそれを積んだ人の願望がどうかなるわけでもない。
ただ、人間から見れば、この行為は非道である事は理解している。
故に人に見られるのだけはどうしても御免だ。
時間にして5~6分程度だったかと思う。複数の人の気配がしたので私は手を止めた。
「オモイカネ、今回はここまでだ」
多分観光に来たであろう若い女性のグループが来たので、私はさも神社マニアで一人で周っています、という顔をして、オモイカネの社に手を合わせて数枚の写真を撮って帰路についた。
「だいぶ楽になった」
オモイカネがそう言ったので、この奇行にも意味があったのだろう。
ガラガラと石を崩す姿は、傍から見ればさぞ恐ろしい姿だった事だろう。
鬼伝説や山姥の伝説の幾つかって、こういう現場を見た人から生まれた話なんじゃないかな、とふと思った。
人の気にあてられて少々疲れた私は、閉店ギリギリに飛び込んだお店でソフトクリームを買い、ベンチで一息ついた。
(人の願う、念じる力というものは、ある意味とても凄いものだからな)
気あたりした体に、ソフトクリームの甘味が染みた。