世間で言う不成仏霊・地縛霊というオカルト定番の事象について。彼らだって話せば分かる。
BLOGコラム霊能者の日常巫の独り言霊能者が見るセカイ。八百万奇譚話ピックアップ
目次
自殺すると地縛霊になる?成仏できない?そんなワケない。
世間のオカルト系の話での定番、「自殺すると成仏できない」「自殺すると地縛霊になる」
そんな事はないと断言する。
生=正義、明るいもの 死=悪、暗いもの
人々がそういう偏見に長い間晒され続け、そうして、それが当然の考えとなってしまった昨今、
人は霊となればとりあえず「祓われる」つまり忌み嫌われる存在と扱われるようになってしまった。
その結果、人は自ら命を絶つ事をどこかで悪と捉え、成仏できないだのと言うようになってしまったが、
その人がその道を選択したのは、現世という地獄から抜け出す事、ただそれだけの事であり、
それを罪のように扱うものだからややこしい話しになっただけの事だ。
今まで私はたくさんの自死をされた方とお話をしてきたが、
単に「自分がまだ生きている」「死んだ事を理解できていない」からその場にとどまっていただけであり、
また、その事実をちゃんとお伝えすれば、大半の方は、そこで納得して安堵して消えて行く。
いわゆる見える人がそれをせず、「あそこに霊がいる」と騒ぎ立てた結果の、
今の「自殺者の霊が集まる場所」等というオカルトスポットが誕生する原因となっているわけだ。
出ると有名な事故現場も同じこと
これは事故死にも言える事で、つまり、その方が自覚する間もなく突然そうなってしまったから、
わけがわからずそこから動けなくなったからであり、それを人は地縛霊と呼んだりするようだが、
それもまったく同じ事で、大半は「話せば分かる」のである。
「自分がどうなったか教えて欲しい」から、追いかけてきたりすることもあるかもしれない。
でも、大半の人は、霊が追いかけてきた時点で、「霊=怖い」と刷り込まれているから逃げるだろう。
そうして、祓いを依頼したりするわけなのだが、
自分がどうなったか分からないのに、突然「祓い」等と称してぶん殴られたらどう思うか、
自分の立場になって考えてみて欲しい。
そりゃあ驚くし、気が強ければ反撃だってしたくなるってもんだ。
そうすると、そこもまた「オカルトスポット」になる。
とんだ悪循環だ。
だから私達は霊の話しを聞く。
除霊ではなく浄霊を行うのは、その憑いているものの話を聞き、
納得して上に上がっていただく事を大事するという信念によるものです。
このサイトにこのように記載されているのは、我々は「突然ぶん殴るような事はしたくないから」であり、
話を聞けるものならちゃんと聞きたい、対話したいという考えがあるからでしかない。
悪さをするものは人の形をした人でないものでしかなく、
例えば誰かが悪さをして、その「生きているのかなんなのか自分の立ち位置が分からない人」を利用し、
その人の話を聞いてなんとかしてあげようとする以前に、
入れ物として利用した結果、その「生きているのかなんなのか自分の立ち位置が分からない人」に、
呪詛だの悪い霊だのなんだのを塗りたくって、また、いいように利用し、
そこに留まらせて暴れさせた結果であったりする。
これが意図的に行われたものなのか、意図せずそうなったのか、それは別として、
その人を悪霊というものに仕立て上げるのは、いつも別の人々だ。
これは動物霊と言われるものにも言える事だが、
それを暴れまわる悪霊と化させるのは、生きている人、であることが大半だ。
このケースでも、それ以外は、とてもすんなりと浄霊は完了する。
もし、霊能者が見るセカイカテゴリの「霊界三河屋業務シリーズ」を読んでくださった事がある方ならご理解いただけるかと思うが、
本来、人は死ねばとても素直であり、私から見れば生きている人間よりよほどかわいいと思うぐらいだ。
また、この三河屋業務に出てくる方々は、浄霊されていない訳ではない。
成仏できていないから話せる、とかそういう話しでもないのだが、説明がややこしいので省略する。
あの世に行かれた方に対して祓いという裁きを行うよりも、まずは話を聞いていくこのスタイルを、私はこれからも続けていく。
これは、人に対する対応と同じことだ。
死んだ瞬間に無条件に怖がられたり裁かれる立場になるなんて、そんな不条理な話があってたまるもんか。