【福岡県朝倉市】安倍貞任ゆかりの地、千人塚と立仙墓【神社仏閣探訪】
【福岡県朝倉市】安倍貞任ゆかりの地、千人塚と立仙墓【神社仏閣探訪】
安倍宗任・貞任兄弟は福岡にゆかりがある。
宗任は宗像市大島に流刑になり、大島に安昌院を開基。
その安昌院に宗任の墓はあるのだが、まだ大島に渡れていないので、写真は後日。
先に、陸路のみで行ける朝倉の貞任ゆかりの地を訪ねた。
小石原から抜ける山道をひたすら走り(とはいえ年々整備されているように感じる)
そこから更に細い道に入っていくと、川沿いに千人塚が見える。
貞任の墓と言われている立仙墓は、狭い道になる手前にあるのだが、
ちょうど住民の方が作業をされていたことと、その民家の間の細道を通らせていただかないと行けないので、
今回は遠慮してしまった。
【現地案内板より】その昔、投獄で源頼義との戦いに敗れた安倍貞任はこの地に落ちのび、鳥屋山に城を築き追っ手を迎え討ったと伝えられている。しかし、ついに城も落ち、一族を引き連れ山を降り逃れたが、ここに至って追っ手の軍勢により千人以上が討ち死にをしたという。里人がその死骸を集めとむらい、以後この地を千人塚と呼ぶようになったといわれている。塚の上には歳を重ねた一本の老木がまるで守人のように枝を広げ道行く人々を静かに見守っている。
安倍貞任の末裔とされる子孫が、ここに千人塚を作り、また、立仙墓を作り、貞任とここで亡くなられた一族をとむらった、ということのようだ。
同じく九州の大分の方にも、安倍宗任・貞任の位牌がある龍雲寺というところがある。
こちらの伝承では、宗任は貞任の遺骨を持ってこの地まで逃げ延び、この龍雲寺を建立したとの記載あり。
その真向かいには鬼神社という、安倍宗任の母、新羅の前を祀る神社といわれる神社もあり。
また、大分には宗任の三男である安倍季任(実任)が創建したと言われる熊群神社もある。
また、宗任の三男・安倍季任(実任)は肥前国の松浦氏の娘婿となり松浦三郎大夫実任と名乗る。
という松浦党に関わる話も出てくる。
松浦党といえば佐用姫伝説もあり、松浦水軍については少し前に調べ、佐用姫伝説を追いかけたこともあった。
どれも伝承の域を出ないのだが、安倍(阿部・安部)氏が多いのは事実である。
前九年の役ののち、奥州安部氏である安倍宗任は、
四国の伊予国に流されたあと、1067年に九州の筑前国宗像郡の筑前大島に再配流された。
この流れで大島にある宗任の墓があるのは歴史マニアには有名な話なんだと思う。
貞任については、厨川の戦いにて安倍氏の拠点である厨川柵は陥落し、戦死しているという説が主流。
しかし現地で戦死という話とは別に、京都の南丹には、宇津で処刑された貞任の首塚であるといわれる場所と、頭部を埋めたという久留守神社があり。
また、同じく宗任も宇津で処刑されたという話もあり、南丹にある船井神社には、宗任の腕が祀られているという。
東北の地から京都・伊予・山口・九州と、日本各地に伝承を残す安倍氏。
どれが正解なのかは、正直私の知識ではまったく分からない。
正直、めちゃくちゃ調べたけど、記事に書ける事は多くない。
というより書いたらキリがない、とも言う。
それほどに子孫が大事にしてきた存在が、貞任と宗任なんだと思う。