巫-kannagi- 琉球シャーマン(ユタ)系霊能者/かんなぎのよろず相談処

「はじめが聞く」”霊能者が回答する”氏神・産土神・鎮守の違いって何?

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弟子で祓い屋の一(はじめ)が、「みなさんから寄せられた質問」を巫に持っていってに答えてもらう、「はじめが聞く」のコーナーです。

 

今日の質問「氏神・産土神・鎮守の違いって何?」

 

 

 

 

今回いただいた質問は「氏神・産土神・鎮守の違い」についてです。

たしかにこのあたりは混乱するよね。

とくに氏神については、引っ越しや結婚で混乱しちゃう人も多いみたい。

うん。大体は今いる県の神社庁に問い合わせれば解決できるんだけど、それだけじゃない話をしよう。

 

本来の「氏神」とその変化

 

 

本来の「氏神」という言葉は、氏名(うじな)という一族一統の神のことでした。

つまりその一族の祖先神または守護神だったりと、その氏人が祀る神の事をさしていたということです。

例えば、中臣氏は「天児屋命・建御雷神」であり、忌部氏は「天太玉命」を祀る、といったところです。

 

これが中世以降になると、氏神の周辺に住み、その祭礼に参加する者を「氏子」と呼ぶようになり、

このあたりから「血縁」ではなく「土地の縁」へと変化していきました。

 

そうして、「氏神」「産土神」が混同され、また、鎮守神が私的領地の確立のために荘園や領地内に勧請されはじめたことによって、

本来、一定の場所、土地や建物を守る存在であった「鎮守神」も巻き込んで、全てが混同されていきます。

 

また、氏子(うじこ)という言葉も、本来は氏神を祀る氏族の子孫を意味していたのですが、

現在においては氏族とは関係なく、その神社の祭祀圏内に住んでいている人達を氏子と呼ぶようになっています。

 

これが、本来はその一族を守る存在であった「氏神」が、その地域を守る存在へと変化していった流れです。

これを踏まえた上で、現在における氏神・産土神・鎮守の違い」について説明していきたいと思います。

 

 

 

 

氏神とは

 

氏神の周辺に住む人を守る、土地の神

 

自分の住む土地を見守る神です。

違う土地に引っ越しをすれば氏神は変わります。

また、結婚した場合に、婚姻先で氏子になることもあり、その際にも氏神は変わります。

 

ちなみに、氏神の周辺に住み、その祭礼に参加する人たちを「氏子」と呼びます。

同じ氏神を祭る人々を「氏子中」「氏子同」といい、その代表者である氏子総代を中心に神事や祭事が担われています。

また、氏神を祀る神社の周辺には住んではいないものの、その神を信仰する人たちを「崇敬者」といい、氏子と併せて「氏子崇敬者」と総称します。

 

 

 

産土神とは

 

あなたを一生見守ってくれる、あなたが産まれた土地の神

 

その人が産まれた土地の神であり、その人を一生守る神です。

生涯を通じて同じ土地に住むことが多かった時代には、ほとんどの場合、産土神と氏神と鎮守神は一生変わることもありませんでした。

しかし、現在は転居する人が増え、一生その土地で暮らすということが減ってきたもので、産土神と氏神と鎮守神の区別ができた、といってもいいのかもしれません。

この産土神については、お宮参り、七五三で行かれた記憶のある方も多いかと思います。

 

しかし、実は子供のお宮参りは、氏神にお参りしてその土地の一員になることを認めてもらうための儀式の一つだった、という歴史背景もあり、

時代とともに変化していったものの一つだと考えます。

 

 

 

鎮守神とは

 

その土地に鎮まりその土地やその土地の者を守る神

 

鎮守は、その土地に鎮まりその土地やその土地の人たちを守る神のことをさします。

今でいう氏神の立場にあり、地域を鎮める、「鎮守」の神、という存在です。

しかし平安時代以降になると神仏習合が進み、寺院では神霊を勧請して寺院の鎮守神としてお祀りするようになり、

荘園や領地のみならず家屋においても鎮守神が祀られるようになりました。

 

また、それだけではなく、もっと大規模な範囲、一国一城、国家の鎮守のために祀られるようにもなりました。

例えば、旧播磨国総鎮守は「射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)」ですが、

これは播磨国全体の鎮守神である、ということです。

 

 

 

迷ったら、日本総鎮守と総氏神の神社へ行くのもアリ

 

 

日本総鎮守

 

諸説あるようですが、愛媛県今治市大三島町宮浦に平安時代に日本総鎮守と定められた大山祇神社というところがあります。

 

 

祭神は1柱。

大山積神(おおやまづみのかみ、おおやまつみのかみ)

 

別名として「和多志大神(わたしのおおかみ)」「三島大明神」とも呼ばれる神です。とも。伊弉諾尊と伊弉冉尊の間の子で、磐長姫命と木花開耶姫命(瓊瓊杵尊の妃)の父。
元は山の神であるが、大山祇神社が瀬戸内海の要所に位置することなどから、大山祇神社では海の神としての性格も強い。
大山祇神社では社名「大山祇」と祭神名「大山積」とは異なる表記が用いられているが、かつては社名も「大山積」と表記されている。(ウィキペディアより)

 

日本総氏神

 

三重県伊勢市宇治館町にある、誰もが知っている伊勢神宮も、日本の総氏神であり総鎮守として有名ですね。

 

主祭神は以下の2柱。

○皇大神宮:内宮

 天照坐皇大御神

○豊受大神宮:外宮

 豊受大御神

 

神社神道最大の信仰の中心地であり、神社本庁包括下の全ての神社が本宗と仰ぐ伊勢の神宮は、皇祖であると同時に、日本人全員の総氏神様でもあり、また、日本国の総鎮守でもあります。
伊勢神宮には天照坐皇大御神を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮、豊受大神宮は外宮と呼ばれる。
広義には、別宮、摂社、末社、所管社を含めた合計125の社宮を「神宮」と総称する。
この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する。他の多くの神社は仏教建築の影響を受け、瓦屋根や朱塗りの建物に変わっていったが、伊勢神宮は神明造という古代の建築様式を受け継いでいる。
これは弥生時代の高床式倉庫が起源で、神へのお供え物をする特別な建物だったといわれている。
また、式年遷宮が20年に一度行われる。伊勢神宮は皇室の氏神である天照大御神を祀るため、歴史的に皇室・朝廷の権威との結びつきが強く、南北朝時代に途絶するまで斎宮が設けられた。
現代でも天皇・皇后が参拝するほか、内閣総理大臣及び農林水産大臣が年始に参拝することが慣例となっている。
中世以降は皇室のみならず、「国家の総鎮守」として庶民を含むあらゆる階層から信仰を集め膨大な数の参拝者を生むようになり、とりわけ江戸時代には短期間で数百万人が参拝する「お蔭参り」が生じるなど、日本の信仰の中心地となった。(ウィキペディアより)

 

 

歴史の流れで様々に変化をしてきた「氏神・産土神・鎮守」。

まずは自分自身が日本人であること、日本という国で生きているということを大事に思う事が大切かと思います。

 

 

理解するととても簡単だよね、これからも氏神からちゃんと大事にしていきたいと思うよ。

そうだね、せっかく見守ってくれる神が近くにいるのだから、お正月や朔日にこだわらずに気軽に参拝して欲しいよね。

 

 

 

この記事を書いた人

平良

巫のよろず相談処のお客様対応や裏方業務全般を担当しています。
タイラーと呼ばれております。
「堅苦しい」と巫や一によく言われるのですが、ある意味実直さが長所だと思っております。趣味は渓流釣りです。
また、お問い合わせの際に一番お客様と接する位置におります。なるべくご不便がない対応を心がけております。よろしくお願い致します。

僕のTwitter @tyler_kannagi はじめました。

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