【島根県】出雲国二ノ宮佐太神社【神社仏閣探訪】
今回は、出雲国二ノ宮佐太神社
明け方に到着した佐太神社は、日が昇るにつれ暗闇に隠れていた全貌を見せてくれた。
三殿並立の大社造り。
本殿三社はいずれも大社造りで正殿を軸として南北の両殿を配置し、しかもそれを対照的にした発想。
特に向かって左の南殿は通常の大社造りの構造とは逆に作られており他に類例を見ない。
実に美しい。
当社は出雲國二ノ宮、また出雲国三大社の内の一つとして「佐陀大社」として称えられ、出雲国で最も古式を遺す神在祭、ユネスコ無形文化遺産リストに登録されている「佐陀神能」等古傳の祭祀を受ける御社です。御本殿三社に十二柱の神々を御祀りしていますが、主祭神 佐太大神は出雲国で最も尊いとされる四大神の内の一柱で猿田彦大神と御同神です。
皆様を幸せにお導きくださる開運・招福の神として人々に厚く信仰されています。
佐太神社公式サイトより http://sadajinjya.jp/
佐太大神が猿田彦大神であることは、正直疑問が残る。
猿田彦にしては、気配が大きすぎるんだ。
江戸時代を通じて出雲國10郡のうち佐陀触下(さだふれした)と呼ぶ秋鹿(あいか)・島根(しまね)・楯縫(たてぬい)・意宇(おう)西半の3郡半の神社を支配下に置き、歴代藩主の信仰も厚く、出雲國内でも重要な地位を占めてきました。
明治3年、神社制度の改革が行われこの触下制度は廃止となります。51社あった末社もそれぞれが村々の氏神として独立し20ばかりとなり、神領、神職とも大幅に減じ著しく衰退しました。しかし、佐陀宮内の氏子はじめ神領6ヶ村の旧氏子、その他多くの崇敬者による復興運動により、昭和3年国幣小社に列せられました。
戦後は佐陀宮内地区の氏神社となっていますがその由緒・歴史から近郷諸所の惣氏神としてはもとより全国各地から広く信仰を集めています。
様々な歴史的困難にもかかわらず、本殿三社をはじめ、国・県の指定文化財も多数有し、古伝の祭祀を守り受け伝えている点において神道学、民俗学等の面からも注目を置かれているところであります。
佐太神社公式サイトより http://sadajinjya.jp/
元の名前は佐陀。佐陀が変化して佐太となったのは地名を見れば明らかである。
御座替神事・佐陀神能でも有名であるこの神社。
神社マニアとしてはどうしても猿田彦では納得ができないのだが、目に見えて証明もできないしまあ、仕方ないか・・・。
いつかまた、ゆっくりと彼処の宮司に聞いてみよう。
また、後ろに見えている神陵は、伊弉冉尊の陵墓と言われ, 神在月に母神を偲んで神々が集うという母儀人基社があった。
写真を撮ったには撮ったのだが、いかんせん山の中。
まだ朝日が届いておらず、とても怖い写真になってしまったので、掲載はやめておこうと思う。
通勤の車が増えだす時間まで、境内でゆっくりと朝を迎えた。
正直、この神社には惚れ込んでしまった。
様々が美しく、何時間でもここに居れる、そんな場所だった。
島根県松江市鹿島町佐陀宮内73
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