改めまして新年のご挨拶でも
改めまして新年のご挨拶でも
気がつけば二ヶ月以上も公式ブログを放置していた事に驚いている。
そんなにバタバタと日々を過ごしていたのかと振り返れば、
確かにバタバタと日々を過ごしていた。
しかもブログ更新が止まっている箇所が非常によろしくない。
大勢の方から心配する声をいただいてしまった。
「トラウマトリガーをあの記事を書くことで引いてしまったのでは」と。
そんなことはないから安心してほしい。
私はあの記事を書くことに対して大きな抵抗があるわけではなく、
自分の人生をただ綴ることで誰かに「ひとりじゃない」を届けたいだけだから。
自分の人生を他人事のように書くことがそんなに簡単ではない、という現実を知ることにはなったし、
トリガーになる部分は多分これからも上手に避けるだろうけれども、
それでも、私は私のままであるし、書き始めた事で得たものもたくさんある。
そうして、更新が止まったまま新年を迎えてしまった。
むしろ、新年も越えてもう一月も半ばだ。
ただ、私は旧暦で動くので、厳密に言えばまだ12/22。
クリスマス前だ。
大掃除もままならないまま年越しをしたが、もうワンチャンある、という事になる。
昨年を振り返ってみてどうだったか、と言われれば、
もしかしたら毎年そう言っているのかもしれないが、学びの多い年だった。
いや、きっと毎年言っているんだろうな。
学びのない年なんてなかったはずだから。
そうだな、私の中の人が色々とやってみたがったものだから、
色々と「ワクワクとドキドキ」を求めて動いた年だった。
そうして、「ワクワクとドキドキ」がないものは手放していった年でもあった。
これからも、このまま「ワクワクとドキドキ」を求めて「ワクワクとドキドキ」がないものを手放していく人生に変わりはないのだけれども、
特に昨年はそれが大きかったと思う。
なにやら色々やっているな、と生暖かい目で皆さんが見ている事に気が付かないフリをしながら、一年を駆け抜けた感じだった。
そうして得たもの、感じたもの、学んだもの、捨てたもの、
すべてを大事に、この2023年を迎えたわけだ。
捨てたというと言葉が悪いが、人は成長に従ってなにかを捨てなければならないと思う。
ずっと全てを抱え込んでゴミ屋敷を作っているようでは、
ただただ歳月を無駄に費やしていくだけの日々になってしまうから。
そうして感じて得たことは、やはり私は霊能者というラベルは似合わないかもしれない、という事だ。
超絶リアリストで、宙に浮いたようなフワフワしたスピリチュアルはやはり苦手だし、
ただ、リアリストならこの世界を否定するのかと言われれば、
生まれた時からあるこの世界もリアルの一つであり。
霊能者に求められるのはなんだか昭和のテレビ番組のようなちょっと薄暗いものなんだろうな、といまだに感じている。
その固定概念を変えたい、と思っていて、それを理解してくれる人は増えつつあるものの、
やはり、まだまだ「変えた」というには程遠いと感じている。
それでも、私のところに来る方の大半はそれを理解してくれていて、
やはり生暖かい目で見守ってくれているのだろう。
「地に足のついた霊能者」という言葉どおりで今年もあり続けること、
実はこれは結構な信念が必要で、試されるものなのだが、貫き通す覚悟はもともとある。
来年も再来年も、同じことを言い続けるだろう。
現実的視点からの鑑定を続ける事も、これからも貫き通すし、
これからも宙に浮いたようなスピリチュアル用語に走ることもないだろう。
世間のスピリチュアルブームというニーズからは大きく外れているかもしれない私の信念。
でも、ここを曲げたところで、私はこのよろず相談をやめたくなるだけだ。
私はこれからも、誰かの支えになりたいし、誰かを助けたい。
誰かが必要としてくれる今現在もこれからも大事に過ごしたい。
そうして、変わらず神々との対話も続けて行くのだろう。
もちろん、それすらも独自の信念とスタイルでだけれども。
霊能者、というラベルよりも、かんなぎさんだのかんなぎちゃんだの、
好きに呼んでくれるととても嬉しい。
霊能者は何も偉くない。
ただただ、誰しもが持つ何かしらの得意の一つであることに変わりはない。
なので、またこれからも気軽に話しに来てくれると嬉しく思う。
新年に信念の話をするという駄洒落のような記事になってしまったが、
本年も皆様、どうぞよろしくお願い申し上げます。
かんなぎ