「除霊」祓う、取り除くという発想に感じる疑問。【霊能者が見るセカイ】
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目次
「除霊」という言葉について思うところ
「除霊」について思うところがある。
除霊・お祓いとして憑いている霊を「取り除く」作業というものに私はいささか疑問を感じている。
勿論私にもそれは行うし、便宜上「除霊」という言葉は使っている。
だが、どうしても「取り除く」といういかにも肩についたゴミを取るような作業のやりかたが私にはどうにも気に入らない。
自分だって明日は肉体を離れ、「霊体」となるかもしれない。そして誰かに何かを伝えたい・確認したい事があるとして、その話も聞いてもらえずにまるでゴミのように取って捨てられたらどうだろうか。
肉体がある間は人間として扱われ、離れた瞬間からゴミなのか?
僕たちは死ねば「ゴミ扱い」なのか?
この疑問を持つようになったのは、除霊の際にある人物が言った「ゴミは排除しないとね」という一言からだった。
ゴミ?たとえ悪意を持っていたとしても、それはゴミなのか?と。
霊能者というものは死という概念が他者と違うのは認める。
がしかし、霊体をゴミ、というのは間違っている。
きっとこういう能力者こそ、自分が霊体になったら誰かに縋るんじゃないか?と考えた。
別の方で、除霊ではなく浄霊を出来る人物は、その者をゴミのように取って捨てるのではなく、ちゃんと上へ導く事ができる。
指でつまんで捨てるような除霊とは違う。その人は亡くなった方の尊厳をちゃんと理解していたと思う。
かんなぎの浄霊スタイル
私のスタイルはまず、「死んだ」事を知ってもらう事から始まる。
亡くなられてすぐの方は特に、まず死んだ事を理解していない場合が多い。
分からないから何があったのか聞きたくてその場にたたずんでいたり、誰かに寄っていったりするわけだ。
まず、「あなたは死にました」それから、「言いたい事があるなら聞こう」それから、
「この世は地獄であり、この世に生きるという事自体が修行。貴方の課題が終わったかは分かりませんが、この世での修業が一旦終了しました」という事をお伝えする。
それでも分からない場合には、「今、あなたは本当に痛いか?辛いか?生きている間の苦痛から解放されていないか?」と問うと、だいたいは理解し、この場にいる事に意味がない事を知る。
それでも色々未練があるのか、まだここに居たいという方もいるけれども、それはそれで悪いがここは都合が悪いので場所を変えてくれないか、とお願いをする。
結局、人として向き合う事が大切なのであって、ゴミみたいに取って捨てる事が本当の力ではないと思うのだ。
霊体相手でも、自分が人にされたくない事はするな、という事だ。
霊=恐怖、ではない
恨みの念を持っています、とか、悲しんでいます、とか言いながら話も聞かず取って捨てるなんて言語道断。
でもそういう人が霊能者として引っ張りだこなのは、人の意識の中に「霊体になったもの=恐怖・悪」という考えが植え付けられてしまったからだと思う。
これは日本のホラー映画のつくりを見ても良く分かるかと思う。
すごく陽気に出てくる方だっているし、良くしゃべる方だっている。
人間と同じで個性にあふれているものなのに、ひとくくりにされてしまっている。
対話って、どの世界でも大切だと思うんだけどね。
例外は生霊
ただ、話が通じないのは生霊。うん、これはちょっとめんどくさい。相手は生きているし、無自覚な場合も多いから。
そんなに簡単に相手に飛ばしてますよ、とも言えないので難しい。
生霊についてはまた少し別の話になる。
が、しかし、時間がかかる生霊でも、必ず解決に向かわせるのがかんなぎのスタイルだ。
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