【神社同行相談事例】「生霊相談に来た人」が「生霊を飛ばす側」になった話
生霊を飛ばされているという事で相談をしてきた人
生霊を飛ばされているという事で相談をしてきた人がいた。
とても年齢相応に見えないぐらいくたびれていた。
生気を吸い取られるとはこういう事だな、と思いながらその人の前に座った。
たしかにそれは間違いなく生霊で、飛ばしたのは同性だった。
しかし、私が憂鬱になったのは、それを聞いて、「ひ~やめて~」だの「こわい~」だの大げさに騒ぎ立てている生霊を飛ばされた側の人の対応だった。
生霊を飛ばされた事についてはご愁傷様であるが、延々と続く演技めいた言動にいささかうんざりしていた。
そう、まるで生霊を飛ばされた事がレア体験で嬉しくてたまらないかのように。
私としては正直、「お互い様なのでは」という気持ちですらいたのだが、一緒に居たY氏は真面目だった。
一通り生霊を戻す作業を行って、もう大丈夫だと伝えた。
そしてY氏は、善意ではあったが悪戯っぽくその相手に言った。
「飛ばした相手を見ているといいよ。面白いように運気が落ちていくからさ。」
生霊を飛ばすだけで罪となり、因果応報は食らうのは当たり前の事だ。
だからY氏の言う事は事実だしそれを伝えた事については問題はなかった。
しかしその依頼主は更に嬉しそうな顔をしたのを私は見逃さなかった。
これはちょっと面倒な事になるかもしれないな、と予感した。
嬉しそうな相談者
それからその人は本当に毎日、生霊を飛ばした人の観察を始めたようで、連日、「ねーねー、アイツまだ元気そうなんだけど~。」「今日も元気だったな。いつ運気が落ちるんだろう~。」と連絡が来るようになった。
やはり予感は当たった。正直、Y氏の発言を心底恨んだ。
毎日毎日、相手の不幸待機状態の依頼主。
それって「執着」って言うんだけど。
趣味は人間観察だとか言っていたが、こんな悪趣味な人間観察なんて止めた方がいいんだけどね。
ま、Y氏は依頼をこなしたんだし、私が偉そうにアドバイスする必要もないか。と何も言わずにいる事にした。
しかし、相手の不幸を連日願ってニヤニヤしながら観察しているっていうのは、本当に困ったものだね。
私は呪詛を使うが、相手が不幸になるかどうか連日観察する気力なんてないし、それを楽しみにしている訳でもないよ。
「巫さんを見習って、私も悪魔になろうっと(笑)」と言われた事は一生恨んでもいいレベルの暴言だ。
まず悪魔に謝れ。そして次に私に謝れ。悪魔も私もそんな下衆な性格をしていない。
その行動の果てに起こる事
いつまでも続く、相手の不幸待機。そしてその依頼主はずっとくたびれたままの状態だった。
通常であれば、生霊を取る作業をした瞬間に顔色が良くなったりするものなのだが、
その依頼主は全くもって変化が見られなかった。
理由は簡単だ。
相手の不幸を今か今かと待ち望んで観察しているその「執着」で、相手に生霊を飛ばしているからだ。
いつまでも観察を続けるので、一度だけ「生霊を飛ばす側にはなるなよ」と警告はした。
そうしたら依頼があった日と同じように、「ひ~やめて~」だの「こわい~」だの嬉しそうに騒ぎ出したので、もうこれは言っても無駄だなと理解し、それ以上の助言は止める事にした。
客観的に見ている限り、生霊を最初に飛ばした方はそれなりに因果応報を食らっていた。体調は崩しまくるし、人間関係もボロボロになっていた。
でもその依頼主からすれば物足りなかったのだろう。
まだ元気だ、不幸になっていない、とずっと言い続けていた。
そしてちょっとその人に不幸な事があると嬉しそうに手を差し伸べて、私は味方だからと言って励まし、今日はアイツはあんな不幸な事があった、と嬉しそうにニヤニヤしていた。
そして、自分に何か良くない事があるとすぐに、「また生霊を飛ばされているんではないか」と相談をしてくる。
「生霊はついていません」と回答するとすごく残念そうな顔をする。普通喜ぶところだと思うんだけどね…。
生霊を飛ばすだけで罪となり、因果応報を食らう。
この言葉通り、依頼主も生霊を飛ばした側としてしっかりと食らっている。
しかし自覚はないので誰かから生霊を飛ばされたのではと疑心暗鬼になり続けている。
そして今も懲りずに観察を続けてはこちらへ愚痴を報告してくる。くたびれた顔をしたまま、下衆な笑みで。
そろそろ気が付いてくれないかな。自分が「飛ばした側」に居る事に。
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