【広島県】龍之尾権現社/牛ヶ首城跡※立ち入り出来ず【神社仏閣探訪】
龍之尾権現社/牛ヶ首城跡※立ち入り出来ず
実際のところは、牛ヶ首城跡はフェンスを開ければ入る事ができそうではあった。
しかし荒れ果てていたのと、すぐ側に重宅があったので、気持ちが乗らず遠慮してしまった。
龍之尾権現社は入り口は分かったものの立ち入りができないようだったので、こちらも泣く泣く諦めた次第。
郡山城は、南北朝時代、安芸国吉田庄の地頭頭として定着した毛利氏が、その勢力を拡大していくなかで、一貫して本拠とした山城です。
城は、はじめ郡山東南の一支尾根でありましたが、毛利元就(1497〜1571)の時には標高約400m、比高約200mの郡山全山に拡大されました。
城域は、東西約1.1km、南北約0.9kmで、南側の麓には内堀が巡り、城内には270段余の平段や、大通院、洞春寺、常栄寺、満願寺などの寺院も建立されました。
またこの城下には、祇園縄手、家取縄手、たて縄手などの道路が整備されて、三日市、六日市、十日市などの市と町が形成されていました。
側道に入ったところに看板があり、 山に入っていく道が有ります。
柵は開けられるようになってます。 屋敷跡の段を囲むように石積があります。
城は、はじめ郡山東南の一支尾根でありましたが、毛利元就(1497〜1571)の時には標高約400m、比高約200mの郡山全山に拡大されました。
城域は、東西約1.1km、南北約0.9kmで、南側の麓には内堀が巡り、城内には270段余の平段や、大通院、洞春寺、常栄寺、満願寺などの寺院も建立されました。
またこの城下には、祇園縄手、家取縄手、たて縄手などの道路が整備されて、三日市、六日市、十日市などの市と町が形成されていました。
側道に入ったところに看板があり、 山に入っていく道が有ります。
柵は開けられるようになってます。 屋敷跡の段を囲むように石積があります。
広島県安芸高田市高宮町佐々部1227