【noteからの転載記事】魔界というもの、「陰side」。
※現時点で巫は「陰side-魔界系鬼畜能力者」より「巫」へ改名しております。
魔界と聞くと良いイメージを持つ人はいないと思う。もしくは厨二病的な何か、と思われるぐらいか。
私の知っている魔界という場所は、実は愛情深い場所であって、決してギスギスとしていない、優しい世界である、という認識である。
私の人間界の両親は置いておくとして、この人間界に行くように指示をしたのは魔界の「名がない神」だ。
本当に名がないのか、まだまだ名を知れる状態にないのかは分からない。が、我が父は「名がない」。
魔界=陰陽の陰の方だという解釈でまあ間違いないと思う。(少し違う所もあるけれども)
生まれた時点で決定している事なので、陽の方に転じる事もない。
光と陰の9:1の法則に沿ってこれからも1の側として生きるだけの事。
人間の世界で言うならば、私はこの伏見稲荷大社(とあと清荒神)に足繁く私を連れて行った父方の祖母と、ユタであった母方の祖母の孫である。
母方の家系はそういう家系なので、こちらの方面に覚醒する確率がまあまあ高い。
だからと言って全員が魔界の子かというとそういう訳でもなく、この家系の中でも光と陰の9:1の法則というものがきちんと守られている。
まあ、つまり、私以外は光で私は陰なのだ。
魔界へ話を戻すと、魔界というものは悪と言われ、長い年月をかけて恐れるもの・触れてはならないものと変化していった。
しかしそれは大きな間違いであり、そもそも魔界は悪さをしていないし、最初のうちは光の神は魔界を潰そうとしたりもしなかった。
「共存」する事でバランスを保てると昔の神々はよく知っていたのに、いつからか我欲を持った人間が、己の欲の為の神事に神々を利用するようになり、歪んだ認知の神も生まれ、悪は全て魔界(陰)に押し付けてやればいいという事になった。
平和に暮らしているところに大勢である民が乗り込んで来て少数民族を無理矢理に理由をつけて悪として、よくわからない正義を振りかざして、少数民族を消滅させる。
この、人間界で長い歴史の中で何度も起こった事が神の世界でも起こってきたのだ。
この大きな流れがおおむね間違っていたという事は「アメノミナカヌシ」が良く知っている。
この話はまた後日にさせていただくが、彼は知っている。彼もまた「共存」を望んでいる。
魔界とか陰とか闇という言葉はとてもダークなイメージなのだけれど、それもそういうイメージで長年刷り込まれてきたからに過ぎない。
これが長年かけて光は怖いというイメージを刷り込めば、それは同じ事なのである。
魔界の子、というのは、こう、剣でも振りかざして大暴れするイメージでも持たれているようだが、イメージと違って申し訳ないのだがこちらから争う事はしてこなかった。
人間の我欲に便乗する神、神の我欲に便乗する人間、そういった事が増えすぎたのが今の世界の結果だろうと思う。
人間界と同じだ。成り上がりたい神と人間の利害関係が一致したからこうなった。
その証拠に魔界の父と光の神のトップは大体にして寡黙で冷静だ。
なんだってそう。本当の大物は表舞台には出てこず、静観している事が多いよね。
そろそろ、そのあたりの禊と再生の時代に移行しないといけないね、とその大物たちが言い出したのは結構前だけれども、いよいよかもしれないな、と魔界の子と呼ばれる私はこちら側の視点から思うのであった。